プレイヤーキャラクター vs プレイヤーキャラクター

シノビガミである。
こいつぁ、いい。


いや、ゲームとしては極めてシンプルな部類に入る。
この〈サイコロ・フィクション〉自体が、例えば他のゲームにあるような能力値や技能レベルという概念がない。
だから、判定をコマゴマやるようなゲームではない。
ただ、それだけに大味にはなりがちだし、取り回しは実は難しいな、とは思う。


それ以上に、このゲームの難しいところは、プレイヤー同士の対立の要素が基本的に含まれている。ということだ。
もちろん、それが最大の魅力でもあるのだが。
以前にも書いたが、これまでPC同士の対立を明確に許容しているゲームは〈ワールド・オブ・ダークネス〉シリーズぐらいだった。


確かに、BoA以降のF.E.A.R.作品は、ハンドアウトの利用で対立構造にあるキャラクターなどの、ドラマチックなキャラクター設定を与え、それに基づくドラマ作りができるようになった。
ただし、これは

当初は利害が克ち合い、反目していたプレイヤーキャラクターが、最終的には同じ敵を倒すことを目的に一致団結する。

という流れに持っていくことが前提条件になっている。
正しく言えば、それが前提条件になっているワケではないのだが、F.E.A.R.作品のゴールデンルールには必ず「プレイに参加した全員で楽しむこと」という内容が記載されている。
このためか、対立状態のまま最終局面に突入し、プレイヤー同士がつぶしあうような運用は、これまで見たことがない。*1


「楽しむこと」が目的なら、つぶしあいで負けたって楽しければ、それでいいんじゃないでしょうか?*2


例えば、対戦型のゲーム。
それは碁だったり将棋だったり、あるいはスポーツだって結構。
戦って、負けたら「つまらない」「楽しくない」のだろうか?
確かに、悔しいし、「負けたという結果」は楽しいものではないかもしれない。でも、戦ったこと自体は楽しいものじゃないだろうか?
勝たなきゃ「楽しく」ないんだったら、勝負事なんてやらないほうがいい。
誰かが勝つということは、誰かが負けるのだから。その価値観の世界での勝負事は、そうとうに醜いものになる。


これはTRPGにしたってそうだ。
みんなで仲良く。利害関係を一致させ、最後に生き残ることだけが楽しいことだろうか?
僕はそうではない、と思うのだけれど……。


その昔、D&Dが入ってきたばかりの頃。

パーティで前衛を張っていたローフルの戦士が壮絶な戦いの末、HP1で生き残る。
カオティックの盗賊がこの戦士を後ろから討って宝を独占しようとする。

……なんてのは、別段おかしな光景ではなかった。
どちらかといえば、D&Dが含有するファンタジーの世界観とは、そういう世界であったように思う。


もちろん、ゲームとして、プレイヤーとしてどうなのよ? という問題はある。
この盗賊の場合、根本的にダメダメな困ったちゃんプレイヤーである可能性はある。
しかし大人のロールプレイ同士だった場合、これは、相手がカオティックであると理解していて、そこに至るまでに相手と交友を持てなかった戦士にも問題がある。*3
何故かって?
それはTRPGは数値で戦闘をするゲームであると同時に、ロールプレイを楽しむゲームでもあるから。
善人な戦士がこすっからい盗賊に友好を結ぼうとするのも。
利己的な盗賊が、お人好しの戦士を出し抜いて宝を掠め取ろうとするのも。
対立構造にある性格や目的の、ロールプレイを楽しんでいるのだから。
それを否定してしまったら、TRPGの持つ可能性の半分は消えてしまうような気がする。


ちなみに。
プレイヤーキャラクター同士が、自己の情報を隠匿し対立するような構造のゲームを、ディプロマシーなどに倣って「マルチゲーム」と呼ぶ。*4
一時期、僕はこの手のゲームが好きで、幾つもマスタリングした。
その昔、グループSNEのウェブサイトに、山本弘の「マスカレード」というSWのシナリオが掲載されていたように、本来、その構造自体はどんなゲームでも成立しうるハズである。
それに時代はほら、「デスノート」とか「ライアーゲーム「魔王」魔女裁判」みたいに知的な腹の探り合い・化かしあいを題材にした作品が受けてる。
この手のゲームは、いまが旬、と言えなくないだろうか?(笑)
ただし、ただ情報秘匿と対立だけがあっても、目的がハッキリしていないと対立の意味がボヤケてしまったり、結果がグズグズになってしまう。*5


ロールプレイそのものは、戦闘などと異なって明確な基準がないから。
対立する価値観同士。それぞれが公平にロールプレイをして、公平に勝ち負けを認めない限り、千日戦争になる。
酒場の酔っ払いの議論と同じだ(笑)。
このシノビガミというゲームは、それをシーンプレイヤー制と【秘密】を奪うということ、それから【感情】で解決できるようにしている。
もちろん、逆説的に言えば、シノビガミで作れる対立構造は【秘密】と【感情】で表現しうる範囲内、ということにはなるけれども。
それでも、随分と間口が広まったように感じる。


……と、いろいろ書いて、自己弁護したところで、次はシノビガミでもGMするとしようかな(笑)。

*1:もちろん、僕が見たことがないだけかもしれません。

*2:マゾだから、とかそういう理由で、ではなくて(笑)。

*3:だいたいカオティックは利己的なだけで、イービル=悪ではないので、友人を意味もなく裏切ったりはしないし、長期的に自分の利益になると思えば戦士を助けると思われる。と、そういう前提で話をしている。この辺のアライメント論争はさておく。

*4:マルチゲームという言葉には、広義はそもそも「多人数ゲーム」という意味しかない。それが狭義では、複数のプレイヤー同士が対立するゲームを指し、更にはプレイヤー同士が異なるゲームクリア条件を有して競争するゲームを指すようにもなった。

*5:どの作品とはいえませんけど……ね。