仮面ライダーW&ディケイド MOVIE大戦2010

本日公開。
季節外れの仮面ライダー劇場版。


ディケイド最終話と仮面ライダーWの第0話。
観てまいりました。
http://www.w-dcd.com/
大筋として。
今回、トータル時間は1時間40分程度と短め。
ディケイド小一時間、Wも30分強、そしてラストは双方が合流してラストバトルという構成になっています。


上映はディケイドが先ですが、話の都合上、Wから先に話します。


仮面ライダーW
死者が甦る、と言う怪現象。
そして、それを追う翔太郎たちの前に、鳴海壮吉=仮面ライダースカルが現れる。
おやっさんは死んだはずなのに。
第一話冒頭の、フィリップ救出シーン。通称、ビギンズナイトの回想を挟んで、翔太郎はおやっさんの死と向き合い、乗り越えていきます。
そして死者を甦らせるというデス・ドーパントの能力の秘密。
仮面ライダーWらしい、ハードボイルド・ミステリの香り漂う一編に仕上がってます。
まぁ、劇場クオリティか、といわれると、別にTV放映の一話でいいとは思いますけどね。


ただ、クライマックスバトルだけ。
何故かドーパントに逃げられ、それを追いかけ続けた挙句、明らかに風都じゃなさそうな採石場
ライダー大戦の場に合流するのは、ナンだかなぁ、という感じですが(苦笑)。
しかも、この最終バトルの演出というか文法というか、完全にディケイドのものでWのものじゃないので、そこはショボーンです。


そして。
さぁ、問題作になっている仮面ライダーディケイドです。*1


公開に先駆け、白倉プロデューサーのインタビューが掲載されていたんですが。
http://www.cyzo.com/2009/12/post_3370.html
ディケイド最終話は循環構造にしただけで、終わっていないのは、そういう風に見える終わりだという趣旨ですが。


……嘘っぱちです(笑)。


いやまぁ、そもそもディケイドの話自体が、脚本家変更以降完全に破綻していたので、もうどーでもいいんですが。
贔屓目で見れば、TV放映分だけ見れば、その理屈は理解できるんですが。
この劇場版が……ねぇ。*2


「これまでの仮面ライダーディケイドは!」
というナレーションから始まり。
ナンというか、当たり前のように続きで話が進んでいきます。


劇場版というより……その規模も含めて、ただの仮面ライダーディケイド第32話です。
独立した一編の作品というよりは、どうあがいても「続き」に見えます。


とは言え。
TV放映ラストで、ディケイドにディエンドが銃を突き付け、夏海が叫ぶというシーンの後。
どういう流れがあったのかさっぱりわかりませんが。
夏海は自分の世界に戻り、ディエンド海東も元のフラフラ生活に戻っています。
異なっているのは、士=ディケイドだけが、何故か激情態にパワーアップして、仮面ライダー狩りを行っています。


この激情態。
反則の強さです。
ナンで、あの最終話あたりではヘタレていたディケイドがこんなに最強っぷりを示しているんだろうと思ったら。
激情態、カメンライドしないで、アタックライドが使えるんです。
つまり、基本ルールでは不可能だった、クロックアップからのインヴィジブルで、超高速でしかも見えないっていう無敵状態ができちゃうワケです。
クロックアップと他の能力が組み合わせられる時点で、他のライダーの勝ち目ないよな。


そうして無敵の強さで全てのライダーを滅ぼしたディケイド。
最後は。
以下ネタバレ。
最後は、夏海がキバーラの力で変身した、新たに生まれたライダー、仮面ライダーキバーラに倒されます。


そして、世界は元に戻り。
再登場した紅渡によって、真実が明かされます。


タワゴトです。


だって、筋が通ってないんだもの。


そもそも、ディケイドにおいて、リ・イマジネーション版と呼ばれる、オリジナルとは異なるパラレル平成ライダーの物語があり。
TV版最終話では、パラレルのライダーとその世界が全て消滅した上で。
剣崎一真とオリジナルライダー(らしきもの)がディケイドを滅ぼすために登場しました。
そして、この劇場版に至るワケですが。
紅渡の説明だと、このパラレル世界が存在している理由が不明のままなんです。


それに、復活しているのはパラレル世界だけにも見えますし。


全ての仮面ライダーを滅ぼし、自身も滅ぼされることで目的を達成する、というのであれば。
最後まで仮面ライダースカルを倒していない。*3
ディエンドも残っている。
とりあえずディエンドの世界も滅ぼしとこうよ。TVに出てきたんだから。
そして最後に、仮面ライダーキバーラが誕生しちゃった時点で、ナンとなくスッキリしない。


タックルも、「仮面ライダーに数えられなかった存在」だからこそ、ディケイドに添わせているのかと思えば。
ナンか、そこのところはあいまいなまま。
結局、死者ってどういう理屈で存在してたの?
スカルのように、パラレルに生き残っているパターンがあるのに、わざわざ死者に設定した理由は?
ただ単に、蜂女とのシーンをやりたかっただけだよね。


全編通してですね。
格好良さげな、耳当たりの良い台詞やシーンが5分ごとぐらいに繰り出されるんですが。
整合性は取れていない。
これっぽっちも中身が伴っていない。
まるでケータイ小説か浜○○○みの歌みたいな上滑り感がするんです。


TRPG的に言うなら。酒飲みながらやってるシナリオクラフトみたいな感じです(笑)。


本作を一言で表わすならば。
茶番
です。
前の劇場版はナンだったっけ、「たちの悪い冗談」か。前作よりはマシかな。


まぁ、何はともあれ終わりました。
それだけは褒められてしかるべきだったと思います。ハイ。

*1:TV放送最終回で完結させず、有料である劇場版に誘導したとしてBPO放送倫理・番組向上機構)に相乗された件。

*2:上記インタビューの中で、白倉プロデューサーの言っていること自体は個人的に正しいと思っています。ナンでもただで寄越せ、有料イコール悪というのは、あまりに自分勝手で乞食根性で、浅薄な意見だと思いますし。

*3:士はスカルのブランクになっているカードをずっと所持している。そして、ラストにスカルの世界のスカルらしき存在も現れている。