鋼の錬金術師 〜シャンバラを征く者〜

http://www.sonymusic.co.jp/Animation/hagaren/video/index.html


テレビ版を最後まで観て無いのに、先に続編となる劇場版を観てしまった……。
奥さんが借りてきちゃうんだもの。
でも、それほど置いてけぼりにならずに楽しめた。
少なからず、第一次世界大戦からミュンヘン蜂起の辺りを記憶していたおかげかもしれない。
でないと事前に入ってきた雑音情報からは、テレビ版を知らないと駄目という話もあったので。


観てて疑問に思ったのは物語の後半。
架空の登場人物であるデートリンデ・エッカルト(実在したのは、ディートリッヒ・エッカルトという髭面の禿げたオッサン………人のこと言えない)が、錬金術の使える世界を滅ぼそうと思った動機が私にはどうにも。
「人間ではなく、化け物に見える。だから殺せる」と、憧れるのと同時に恐れている事をデートリンデは語るんだけど、それに対してエドワードは認めてしまう。
てっきり、「同じ人間だよ」とか言うと思ったんだけど、私は。
でないと、錬金術の使える世界は、やっぱり危なくて襲われて当然という事になるんじゃないかと。
だって、錬金術が等価交換とはいえ科学よりも有利な世界なんだもん。
パラレルワールドの捉え方が違うんだろな、製作者と私とで。
私はなんの刷り込みか、「ちょっとずつ違う世界」を平行宇宙とイメージしてるんだけど、今作の制作側は、あくまで「似てるけど異質な世界」と隔たりが大きいように。


あと兄弟の考え方も。
奥さんからは、「ほらー、あれが兄弟ってもんよ」と言われたけれど、兄弟ってそこまで近しい存在かと。
これは、かなーり個人の家庭の事情が絡むと思うけど(笑)
あれだけ、兄さん兄さん、弟よ弟よ、の2人が引き裂かれて、たかが二年くらいの再会でまた一緒じゃ駄目なんじゃないでしょうか。
いや、駄目ってのは“自立”として。
お互いに求め合うんだけど、やっぱり自分の人生は自分で歩いていかなきゃいけないと気づく成長物語になるんじゃないかと途中まで思ってました。
それで、何年後になるか分からないけど、二人はまた巡り合うという事だけ匂わせて終わっても良かったと思うんだけど、そんな中途半端じゃかえって納得いかないのかな。
なんかお互いが依存し合ってオシマイという感じで、ちょっと切なさを期待したラストが、これからの苦労は多くともハッピーエンドってのが納得いかない。


さて、これからテレビ版51話を観るか〜。
その前に『昭和アホ草紙 あかぬけ一番!』も片付けたいな(´・ω・‘)



本項は「SNAKE EYES BLOG」より転載です。